ビル・マゼロスキー(1956−72:パイレーツ)

史上最高の守備力を持った二塁手、それこそ彼に贈られる最大の賛辞である。どれほど彼の守備がすごかったか。それは次の一言に全て集約されている。
「マゼロスキーの守備練習を見るのは、テッド・ウイリアムスの打撃練習を見るのに匹敵する」
史上最後の4割打者のバッティングと等価値の守備が、どれほど傑出していたか。
だが、彼の名前はもうひとつ歴史の別のページに刻まれている。
それは、史上初めてワールドシリーズ最終第7戦で、サヨナラホームランを打ち、ワールドシリーズに幕を引いた男、というものである。
1960年10月、史上有名なMM砲*1を主核とする圧倒的な打線を持って、貧打線ピッツバーグ・パイレーツに襲い掛かったヤンキースは、ワールドシーズ最終戦の最終回に「守備の人」が打ったまさかの一発に沈められた。
これがヤンキースにとってどれほど信じられない事態だったか。
ヤンキースの主砲、ミッキー・マントルは故郷オクラハマへ帰る飛行機の中で悔しさから泣き続けた。
それはワールドシリーズに負けたからではない。あんな弱いパイレーツに負けたからだった。マントルはのちにそう語っている。
それから時は経ち、1993年のトロント・ブルージェイズフィラデルフィア・フィリーズワールドシリーズでは、ブルージェイズの主砲ジョー・カーターが第6戦にサヨナラホームランを打って、シリーズを制した。
しかし、いまだ最終第7戦にサヨナラ・ホームランを打ち、シリーズに決着を着けた選手はマゼロスキー以外に現れてはいない。

*1:史上最高のスイッチヒッターであるミッキー・マントルと、翌年ベーブ・ルースの年間本塁打記録を抜くロジャー・マリスで形成した3、4番のこと。この年マントルは40本、マリスは39本のホームランを打っていた。