史上最高のショートは誰だ?

 ヤンキースに正式に移籍が決まったアレックス・ロドリゲスは現在、MLB界のNo1プレイヤーであることはほぼ間違いないと言っていいと思う。それほど完璧な選手だ。初めてレギュラーに定着した年に首位打者を獲得したミート力はもちろんのこと、ここ3年連続のホームラン王であるパワーも一流である。大振りはしていないのに、バットに当たった球は軽々とフェンスを越えていく。
 元々肩は強かったが、そこに練習と経験を積み重ね、守備の安定度はグンと増した。ゴールドグラブ賞も2年連続で授賞。そしてその高い才能を、支える土台も万全だ。彼は精神力も強靭なのである。昨オフ帰国したとき、マリナーズの長谷川は、自分より精神的に強くやりづらい相手として、まずA・ロッドの名を上げた。彼にはほとんど心理戦が通じないのだという。彼ならニューヨークの喧騒の中でも普段の自分を出せるだろう。
 さらに付け加えるならば、性格も尊敬するリプケン譲りの人格者で、その余りの完璧さに、イチローに冗談まじりにも「彼には嫉妬する」と言わしめた。
これから先怪我さえなければ、彼の歩む足跡がそのまま歴史になっていくだろう。そうなれば将来、彼が史上最高のショートと呼ばれるのは間違いないと思われる。
 それではこれまでで史上最高のショートは誰だろう。守備だけに関しては、オジー・スミス(選手在籍年1979−96)が筆頭だろう。13年もの間ナショナルリーグ・ショートのゴールドグラブ賞を独占した。彼は打球を捕ってから投げるのではなく、捕った瞬間に投げていた。それは捕る直前にすでに投げる姿勢に入っているためにできるのであり、まるで機械のようにボールをさばいた。
 逆に打てるショートといえば、ショートで初の本塁打王になったアーニー・バンクス(1953−71)が上げられる。弱小カブスに在籍していたために、ワールドシリーズを経験することは一度もなかったが、同時代でもっとも輝いたショートストップだった。
 現ショートの四天王、A・ロッド、デレック・ジーター、ノーマ・ガルシアパーラミゲル・テハダたちのような大型ショートの道を切り開いた先駆者は、カル・リプケン(1981ー2001)である。それもまでショートはセカンドと並び小柄な選手の定位置だったが、彼の登場でその意識は過去のものとなった。A・ロッドもジーターも、子供の頃の憧れの選手はリプケンだった。
 これまでの3人はいずれも、その時代では卓越したショートではあるが、オジーは打撃がイマイチ、バンクスは1度、リプケンは2度しかゴールドグラブ賞を授賞していない守備が、史上最高の名にはしっくりこない。
 史上最高の名に相応しい遊撃手は、モダン・ベースボールの黎明期にいた。その名は、ホーナス・ワグナー(1897−1917)。首位打者を8回、打点王を5回、盗塁王を5回獲得。べーブ・ルースが登場するまで野球は、ホームランにはほとんど興味を持たれてなかったので(ボールの質が悪いので滅多にスタンドには入らなかった)、この成績は打撃部門でワグナーが傑出した存在だったことを表す。
 さらには守備の達人で、強肩にスピードを生かした広い守備範囲を持ち、「フライング・ダッチマン(ワグナーはオランダ系移民)」なるニックネームをつけられた。
 果たして彼が現在のメジャ−リーグに必須の、パワーを持った選手だったのかというのはわからない。ただワグナーより12才年下で、ベーブ・ルースより9才年下のタイ・カッブのエピソードで次のようなのがある。1920年代に入ると、ルースの登場で野球はこれまでのスピードとヒット主体のものから、ホームラン主体のものに変わってしまった。だがカッブは野手の間を抜くライナーのヒットを最上とする、昔ながらのベースボールを信奉しており、ホームランを好んでいなかった。そのためルースと比べられことが多かったカッブは、ある試合前に、「あることを君たちに気づかせてあげるために、この2試合で見せたいものがある」という不思議な約束を記者団に対し行う。
 そして、彼は1試合目には3本のホームランを、2試合目にも2本のホームランと、フエンス最上端に当たる2本の2塁打を打ったという。1925年の5月5、6日のことだ。 ホームランも狙えば打てる、ということをカッブは証明した。だがヒット、そして盗塁こそが野球という信念のもと、カッブはその後もホームランには興味を示さずヒットを打ち続ける。そしてその3年後には、4189安打というピート・ローズが破るまで、更新不可能といわれた大記録を持って引退していった。
 ワグナーは彼より体重もあり、打点王5度獲得はチャンスでの強さを示す。カッブが打てたのだから、というのでは理由にならないかもしれないが、彼が残した実績と才能を考えた場合、イチローのような完全なアベレージヒッターだったというのも納得できない。恐らくもしホームランの時代に生まれていたら、30本はコンスタントに打てた選手ではないだろうか。もちろん正確な数字など夢想にすぎないが、強打者には違いない。
 カッブ、ワグナーの時代とは、打者の性質も変わってきてる。首位打者打点王を同時に取ったのは、ここ最近では2000年のトッド・ヘルトン(ロッキース)で、33年ぶりのことだった。アベレージヒッターと、走者を還す打者は、現在では完全に区別されるようになった。現在と過去の野球の質を考慮しても、ホーナス・ワグナー、彼こそが走・攻・守の全てを兼ね備えた史上最高のショートだろう。Aロッドが抜くまで、その称号は彼のものだ。

 ちなみワグナー、カッブ、べーブ・ルースの3人は1936年の第1回殿堂に選ばれた。投手からは、「完全無欠」クリスティー・マシューソン、「人間機関車」ウォルター・ジョンソンが選出。その第1回殿堂に輝いた5人こそ、モダン・ベースボールの基礎を作った神様たちだった。