開幕前に イチローへのラブレター

昨日僕は、イチローはほかの日本人選手たちとは明らかに異質な存在だと書いた。今日ここには、僕がそう思う理由のいくつかを書きたいと思う。
昨年イチローはシーズンで212本のヒットを打った。これはメジャーリーグのあらゆる選手の中で2番目に多いヒット数だったけれども、僕が言いたいのはそのことじゃない。これで彼は3年連続で200本以上の安打を記録した、ということのほうなのだ。
メジャーリーグ全体では昨年、200本以上のヒットを打った選手は7人いた。
その中に一昨年も、200本以上のヒットを打った選手は何人いただろうか。
たった一人。
つまり3年連続して打っているイチローしか、連続して年間200本以上のヒットを打った選手はメジャーリーグにはいなかったのだ。
今日言いたいことを一言で言えば、これだけになる。


昨年のイチローは、シーズンが佳境に近づいてきた8月に入ると不調にあえぎ、2度目の首位打者をとることはできなかった。マスコミもその頃には連日イチローの不調を伝え、首位打者獲得はほぼ無理であるというマイナスのトーンが報道の主流だった。
それはメジャーリーグの中で、ただ一人3年連続の200本安打達成をほぼ手中に収めていたのにもかかわらずである。
多くの野球を報道するマスコミはプロの眼をもっていない、どちらかと言えばアマチュアのような切り口でしか人に伝えられないと常々言われているし、僕もそう思うときはしばしばある。去年のイチローについての報道を見るたびにも、僕はその報道の乱暴さに憤りを感じていた。
だが感じたのはそれだけではない。自分でも驚いたことに、多くのマスコミの報道と同じような感情もわずかではあったが、僕の中にはあった。
その自分の中の感情に気づいたとき、僕は始めてイチローというものの偉大さを理解したような気がする。
たとえば松井は3割100打点の成績を残しながら、ホームラン王や打点王をとれなかったならば不調なシーズンを過ごしたと言われるだろうか。マスコミは、「松井大ブレーキ」というような報道をするだろうか。また野茂が最多勝奪三振王をとれなかったら、そのシーズンは人々にマイナスの印象しか残さないものになるのだろうか。
もちろんそんなことはない。でもイチローだけは首位打者を取らなければ、そのシーズンは不調だったという認識が、多くの人に、そしてこの僕にもあることは否定できないのだ。
なんとレベルの高い要求なのだろう。


そのように世界で一番になることを要求されたのは、日本ではオリンピックでのかつてのバレーボールや男子体操、そして柔道、マラソンぐらいだった。
いまだリーグスポーツでは、サッカーでも、ラグビーでも、バスケットでも、もちろんアメフトでもそのような期待をさせてくれる選手は現れていない。いや、野球でもその挑戦が許されているのは、イチローただ一人なのだ。もしヒットを打つことに関してイチローメジャーリーグで一番になったら、それは地球上から彼以上のアベレージ・ヒッターがいなくなってしまったということなのだ。
それでもナンバー1を求める要求が自然に発せれるところに、僕はイチローとほかの選手との間にある大きな断絶を感じるのだ。


だがアベレージ・ヒッターを評価するのに、打率だけで判断するというのはどうなのだろう。僕はそこに大きな疑問を感じる。なぜならば打率というのは確かに一つの目安となるが、絶対的なものではないからだ。
たとえば2打数1安打の打者より、5打数2安打の打者の方が当然ながら打率は低くなる。また3打数1安打の打者と6打数2安打の打者の打率は同じだ。
だがチームにプラスをもたらすのは、1安打するより2安打する打者のほうではないのか。またじゃんけんと同じく機会を増やせば増やすほど、偶然性は排されていくので、打数が多いほど実力が数字に表れると言える。だが打者の打数はそれぞれバラバラで、そこを受け入れて打率を計算し、順位を出している以上、厳密な打者の順位を決めることはできない。
実はメジャーリーグの世界でも近年、打率というのは「もっとも過大評価されている数字」という意見が定説になっているのだ。
その代わりに打者を見るときに、注目してほしいのが安打数だ。打率は下がることはあっても、安打数にはそれがない。1本の価値は1本の価値しかもたない。そして安打数も見るべきところは順位でなく、200本安打をオーバーしてるか、してないかという部分だ。
メジャー全体でも200本を越えるヒットを打つ選手は、年間に10人前後しかいない。野茂の回で、先発投手は投球イニング数200回以上を複数シーズン記録していることが、一流の証明になると書いた。
同じようにアベレージ・ヒッターにとってはそれが200本安打以上ということになる。それが何年連続ということになれば、バッティング技術はもちろんのこと精神力、思考の柔軟性までもが、一流だという証拠だ。


でもイチローは打率が持つ意味なんてことには、とっくに気づいていたようだ。僕は彼が首位打者を獲得した2001年のオフに、NHKのインタビューに次のようなことを話していたのを思い出した。
「僕にとって一番大事なのは“準備をするということ”ですね。自分の力の全てを使って準備をする。でも準備をしても、たとえば打率の順位で僕より上に選手がいたら、準備したことは全く意味が無かったのかと言われれば、それは違いますね。他人との比較ではなくて、大事なのはそれまでにベストを尽くしたどうかなんですよ。
それに僕は打率にそこまでこだわってません。打率だけを気にしていたら、極端に言うと(打数を減らし、打率を上げるために)次の打席に向かいたくなる気持ちが生まれるかもしれません。だけどもっとヒットを打ちたいと考えれば、次の打席に向かいたくなる。ヒットは増えることはあっても、打率のように下がることはないですからね。だから僕が意識しているのはヒットの数ですし、200本という数字が特別な意味を持つのです」


首位打者を獲得しながら、そのようなものに日本での時ほど価値を置いてないことが、よりイチローの言葉を真実にしているように僕には感じる。
その言葉の通り首位打者だけが誇るべきものじゃないし、それだけが目標にするものじゃない。
イチローと同じく一番打者で強打者でもあった、3000本安打を達成したウェイド・ボッグスは83年から7年連続200本安打を記録した。
もし怪我さえなければ、35歳になったイチローがこれを上回る、8年連続を記録することはまさに時間の問題だろう。
ボッグスは99年に引退したが、近い将来に殿堂入りするのは間違いない。イチローは今、そのような過去の英雄と比べられるプレイヤーにもなっている。
最後にもう一つ、そのこともまたイチローを異質な存在にしている理由なのだと僕は改めて思う。