その瞬間、ダイヤモンドは輝いた。

ナチュラル」(84年米)という野球映画がある。
主人公ロイ・ハブスを演じるのはロバート・レッドフォード。ストーリーは以下のようなものだ。
物語の舞台は恐らく1920年代。アメリカの中西部の農場で、一人の少年が父親から野球を教わる。立派な青年に成長した少年は、メジャーリーグのチームの入団テストを受けるために、汽車に乗ってシカゴに向かう。
その旅の途中で、偶然その列車に同乗していたメジャーリーグ1のスラッガーと勝負をするという余興が行われる。余興とはいえ、完璧にそのメジャーリーガーを抑えた主人公の未来は、投手として大きな希望に満ちていた。
だがシカゴに着くと彼は不慮の事故に会ってしまい、投手としてはもはや生きられない傷を負ってしまう。
それから10数年後、バッターに転向した彼は36才という年齢もあり、いまだマイナーリーグにくすぶっていた。
だが低迷を続けるニューヨーク・ナイツが、負けに慣れたチームの空気変えるために新しい選手を入れようと、なかば偶然に彼を入団させる。
ナイツは往年のニューヨク・メッツを彷彿とさせるリーグ最弱球団だったが、その老いた監督は誰よりも野球を愛し、そして勝利を渇望していた人間だった。だがその気持ちいまだを叶えることはできず、だがそれでも野球への愛ゆえに、野球から離れられないでいた。
主人公はナイツに入ると、今までの気持ちを吐き出すかのように、左打席からホームランを量産する。そんな主人公の活躍や、チームメイトの試合中の事故死などで団結したチームは、あと1勝でとうとうペナントが握れるという位置まで躍進する。
だが賭博師のワナによって主人公は薬物を飲まされ、体をこわしてしまう。主人公が欠場した最後の3試合全てを落としたナイツは、プレーオフで最後の勝負を迎える。この試合に勝った方がチャンピオンなのだ。無理をおしてこの試合には出場した主人公だが、全く調子が出ない。
そして2−0で迎えた9回裏。二死一、三塁の場面で、主人公は4度目の打席に入る。
この打席を迎える頃になって、やっと本来のタイミングを取り戻しかけていた主人公は、5球目に特大のファウルを打つ。だがその時、雷雲が立ち込めた空から雷が落ち、愛用のバットが真っ二つに割れてしまう。気落ちする主人公。だが彼に、バットボーイの少年が一本のバットを差し出す。それは彼に憧れていた少年が、手製で作ったバットだった。
6球目、主人公がバットを振りぬくと、ボールは外野スタンドの照明灯に向かって一直線に伸びてゆく。そのままボールは電球にぶち当たった。
ガラスの破片は飛び散り、ライトを反射させてキラキラと輝きながら落ちていく。
その中を主人公はゆっくりとベースをまわっていく。
輝くグランドを見つめながら、老監督は放心したように動かない、、、、、。

「これだよね」と、この映画をビデオで見ていた男が、このシーンで隣の母親にぽつりとつぶやいたという。男は卒業を間近に控えた大学生で、このあとしばらくしてプロ野球入りを正式に表明するのだった。
そして、男はその世界で誰よりも有名だった人間を父に持っていた。
「この男」のことは、沢木耕太郎の「ナチュラル」という文章を読んで知ったことである。

そのセリフの部分を読んで思ったのは、「この男」も野球というものに胸を焦がした時期を人生の中で持ったことがあるのだ、ということだった。
ガラスの破片にカクテル光線が反射して光輝くダイモンドを、一人の打者が走っていく、これこそベースボールだけが作りえる最高のファンタジーでなくしてなんなのだろう。
僕はこのシーンを見た男がつぶやいたセリフを知った瞬間から、この男のことが好きになった。
ナチュラル」を読んだ時にはもう引退してしまっていたけれど、彼、長島一茂もまた野球が好きな人間に違いなかったのだから。