ノーラン・ライアン(1966−93:メッツ、エンゼルスなど)

ニューヨーク・メッツは創立当初とんでもなく弱いチームだった。62年に創設されてから、6年間は毎年100敗を経験し、62年の初年度には120敗という史上最多敗記録を樹立した。
これを今達成しようとするなら、4試合のうち1回しか勝ってはならないということだ。敗戦率は75%というむちゃくちゃなものだった。
だが7年目に入ると、歴代の奪三振王の中でも最高の知性を持ったエース、トム・シーバーの豪球が大爆発し、メッツはあっという間にワールドチャンピオンの座まで登りつめる。メッツはこのときから、「ミラクル・メッツ」という冠をかぶることを許された。
このときのメッツのブルペンに、シーバーより3才年下だが、とんでもなく速い球を投げる投手がいた。だがコントロールもとんでもなく悪かった。
そのためメッツは彼、ノーラン・ライアンのことをそれほど評価しておらず、72年にエンゼルスへトレードで放出してしまう。


これがメッツの歴史上最悪のトレードになった。ライアンは移籍した1年目に19勝をあげ、奪三振王のタイトルをとることとなる。
この大変身の理由は、彼のようなコントロールが一定しない投手にとって大事なのは、少ないイニングを投げるリリーフとしてブルペンに待機することではなく、四球を出してもいいから完投すればいいというような姿勢であり、長いイニングを投げ切ったことだった。
その意味で地区のお荷物球団だったエンゼルスでは、ライアンはすぐに先発のローテーションに入ることができたので、彼の投球にあっていた。
どうもメッツの球団フロントはライアンのその点を見誤っていたらしく、そのことを放出1年目で知らされることになる。


そこからライアンは、速球投手としてのあらゆる記録を塗り替えていった。
通算奪三振数5714で歴代1位。(2位はクレメンスの5099)
ノーヒット・ノーラン7回。
年間奪三振数383。
最多奪三振王タイトル11回。


史上最多安打者のピート・ローズは「中には音しかきこえないボールもあった」とコメントし、ヤンキースの歴代の4番の中でもっとも傲慢で、もっともワールドシリーズに愛された男であるレジー・ジャクソンは「投手の中で、これまで怖いと思ったヤツはライアンだけだ。(なぜなら)ヤツは俺をぶっ殺すかもしれないしれないからだ」という言葉を残した。
およそ彼と対戦した打者で、彼のすごさを賞賛しなかった打者はいない。記録が残っているところでは162キロというのが、ギネスブックにものった彼の最高速だったそうだが、どうもこれより速い球を投げることもあったようだ。


だがライアンが偉大なのは、ただ球が速く、三振を数多くとれた投手だっただけではない。彼は、それまで速球投手の運命だと考えられていた、年齢によるスピード低下の問題を克服し、「太く、だが長く」というスタイルを可能にする。この点こそ彼が後世の選手に残した最大の遺産となった。
そのスタイルを可能にしたのがエンゼルスに移った年から始めたウェイトトレーニングであり、これに独自の改良を重ね、ライアン・プログラムを完成させた。
44歳にしてノーヒット・ノーランを達成できたのは、まさにそのプラグラムの正しさの証明だった。
42歳になったクレメンス、40歳になったランディ・ジョンソンがいまだにリーグ屈指の速球派でいられるのも、ライアンを深く尊敬する二人が、そのライアン・プログラムを若いときから実行しているからに他ならない。


ライアン以後、なぜか彼の後継者たちである本格派の速球投手たちは、彼の故郷であるテキサス州から多く出てきている。クレメンス、ケリー・ウッド(カブス)、ジュシュ・ベケットマーリンズ)。
ウッドやベケットは少年時代にクレメンスに憧れ、そのクレメンスは深くライアンを尊敬していた。そういう「ボーイ・ミーツ・ガイ」的な側面もまたその現象の理由を語るときに無視できないだろう。


最後にライアンの球種を紹介したい。150キロ台の速球に、140キロ台のチェンジアッップ。そして30cmは落差があった強烈なカーブ。
ライアンのことを調べていてこのことを知ったとき、実は思い出したことがある。ライアンと同じく本格派の速球投手の中に、これとまったく同じ3つの球種を投げる投手で、僕も良く知る現役の投手がいるということを。
その投手が01年にシカゴカブスを相手にメジャーデビューしたときに、シカゴの新聞では、彼を「いずれ殿堂入りする投手だ」だと紹介したが、僕もその意見にまったく同感だ。
ライアンは引退後5年経過し、殿堂資格をもらった1年目に殿堂入りを果たした。クレメンスも引退すれば同じような道をたどるに違いない。
そしてクレメンスが引退したとき、クレメンスがライアンから渡された何かをうけつぐのは、彼なのだろう。
ライアンに憧れた男に、憧れた少年が成長して立派な大人になったとき、また違う少年が今度はその男に憧れる。
近い未来に、そういう男にベケットは必ずなる。ライアンの球種を知ったとき、僕の頭の中に浮かんできたのは、そういう気持ちだった。