大リーグボールは今、要りますか?

ヤンキースデビルレイズ第2戦の5回、松井秀喜が真ん中高めの速球をぶっ叩いた。打った瞬間ホームランとわかる当たりで、ボールはライナーで左中間のスタンドに飛び込んでいった。投手にとっては完全なコントロールミスの、甘い球だった。
このスイングを見て、思い出した記憶がある。昨年のワールドシリーズ第2戦で、松井は初回にホームランを打った。打たれた投手のレッドマンは、エンジンを失って、海に漂うしかないボートのようだった。初のワールドシリーズに完全に萎縮したレッドマンは、コントロールを失って、マウンド上で孤立していたからだ。その彼からは当然のように、甘い球が真ん中にくる。そして当然のごとくその球を、松井はスタンドにたたきこんだ。
思い出したのはそういう記憶だ。


ドカベン」でおなじみの水島新司の作品に、「あぶさん」という作品がある。その「あぶさん」のある回に、次のようなやりとりがあった。クラウン・ライターズ(西武の前身)の監督・江藤が、町の一杯飲み屋で、若い土井正博(後のクラウン、西武の4番打者)に語りかけるシーンだ。
「ところで土井よ、お前はどぎゃんしてそない大馬鹿もんと!
あの二塁打の前に、山内(南海のエース)はホームランボールを投げよったやろ?ええ違うか?
土井、お前なしてあれを見送ったと?
(中略)
三冠王を狙える打者こそ一流中の一流バイ。かってのライオンズの先輩・(中西)太さん、南海のノムさん野村克也)、そして今をときめく巨人の王(ワン)ちゃん、、、、、
みんなパンチがあり、チャンスに強うて、打撃にムラがない。
そして彼らは、、、、、、、絶対に失投ば見逃さんタイ!」
(『あぶさん』第7巻「縄のれん」より)


僕はいまでもこれ以上の、メジャーリーガーとマイナーリーガーの違いを、一言で表せる言葉に出会ったことがない。
その通りなのだ。メジャーリーガーとマイナーリーガーのバッターの差を分けるものは、失投を打てるか、打てないか、ただその一点だけなのだ。マイナーリーグの中でも3Aにいる選手と、メジャーにいる選手の身体能力に大きな差はない。
だが失投を見逃す打者、惚れ惚れするような強肩を持っているのに、大事な場面では捕手への送球はいつも少しそれる外野手、素晴らしい速球を持っているのに、ピンチになるとそれをストライクゾーンに投げ込めなくなる投手、そういう選手たちはいつまでたっても、どんなに高い才能があってもメジャーリーグで、レギュラーを奪うことはできないのだ。


日本でのメジャーリーグの開幕戦は、第1戦ではヤンキースの投手たちが、第2戦ではデビルレイズの投手たちが、甘いコースに多くのボールを投げすぎだな、ということぐらいしか僕の印象には残らなかった。
だがそれは、松井がヤンキースのオーダーの中に入っていることに、特別な違和感を感じなかったことでもあるようだ。生粋の日本人である松井が、ヤンキースのレギュラーになり、日本で公式戦を戦う。そのことをマスコミが、歴史的だ報道する気持ちも確かにとてもよくわかる。
でもそういうことよりも、もっと松井は普遍的なメジャーリーガーになってきている。なぜなら彼がメジャーリーグにいても、違和感がまるでないのだ。それはイチロー抜きのマリナーズをもう考えられないのと同じようなものだ。
どうして、いつからそう私は思いだしているのか。それははっきりしないのだが、今日見たホームランに、昨年のワールドシリーズでのホームランを重ねたときに、その感覚はほぼ確信に近いものになってきた。


松井は失投をほぼとらえられるようになってきている。


サッカーが世界の舞台とつながっていることが分かった瞬間から、サッカーの世界が、いきなりその魅力を何倍にも増やしたように思ったのは、私だけではないと思う。
サッカーの世界では国の代表である以上、たとえば日本とイングランド、ブラジルといった国が、公式の場において同じ土俵で戦えることは可能だ。だがマンチェスターユナイテッドと、ジュピロ磐田を同じ土俵にのせることは一生できないだろう。そして恐らくほとんどの人がそんなことには興味を持たないはずだ。
それは日本代表の試合がJリーグの試合を見るより、はるかに胸を躍らす理由と同じである。その瞬間に世界とリンクしている実感を感じられること、それが私の場合は一番大きい。
代表でいる以上、常に世界の中での順番を知ることができる黄金のモノサシを持てるのだ。


野球にとって世界というのは、国の代表ではなく、メジャーリーグである。熱気、資金、注目、歴史、名誉が野球界でもっとも集中するメジャーリーグこそが、地球中で最高の野球世界なのだ。
メジャーリーグにいればこそ、野球界世界全体の中での自分の位置もわかる。野茂の勇気ある決断から始まって、長谷川、佐々木、イチロー、松井と次々と海を渡っていった。
その彼らの存在のおかげで、日本の野球にもサッカーと同じく、世界との間を結ぶ道は完全に開けた。もはやメジャーリーグで、日本人投手が、日本人打者がプレーするだけで驚く時代は終わったのだろう。今日の松井は日本人というだけではなく、メジャーリーガーだった。だから松井がヤンキースにいることに違和感を感じず、試合の印象はそんなに残らなかったのだ。
そしてその印象に残らなかったことのほうが、はるかに印象深い。
もう松井は松井でさえいれば、メジャーリーガーなのだ。
私が今日のヤンキースデビルレイズ戦を見て、思ったことはそういうことだった。