とうとうボンズが、ウィリー・メイズの記録に並んだ!

4月12日対ブリューワーズ戦に、バリー・ボンズサンフランシスコ・ジャイアンツ)が3ランホームランを打った。これでボンズの通算本塁打数は660本となり、歴代3位のウィリー・メイズの記録と並んだことになる。
ウィリー・メイズ(1952〜73年)と言えば、メジャーリーグ130年の歴史の中でも、「史上最高のオールラウンド・プレイヤー」とよばれる選手で、走攻守全てを完璧に兼ね備えた選手だった。そのため彼の背番号“24”は、黒人選手たちにとっては特別な意味を持つ時代があった。
たとえば盗塁数、得点数、四死球数で歴代1位のリッキー・ヘンダーソンが、「24」を背番号にしていたのはメイズを尊敬していたせいである。そしてケン・グリフィーJrがマリナーズ時代に「24」をつけていたのは、そのヘンダーソンを尊敬していたからだ。
バリー・ボンズにとってメイズは、父ボビー・ボンズジャイアンツでのチームメイトだったこともあり、バリーという名の名づけ親でもある。
そのゴットファーザーの記録に、今季2号目で並んだ。
ボンズはもともとパイレーツでデビューした当時は、今のような完全な長距離バッターではなく、父ボビーと同じくホームラン30本前後の中距離打者だった。それが93年にジャイアンツに移って46本塁打で、ホームランキングのタイトルを授賞する頃から、少しづつホームラン数を増やしていく。
大きな転機となったのは、99年にウェイトトレーニングをそれまでより積極的に取り入れ、そして失敗したこと。このトレーニングによってボンズは確かに筋肉はついたのだが、ボディービルダーのような体になってしまい、柔軟性を失ってしまったのだ。その結果、この年の本塁打数は34本と、ジャイアンツに移って以来年間40本前後は打ってきたボンズには、納得できない数字に終わる。
だがその失敗を受け入れたボンズは、硬くなって故障しやすくなった体の改造をはじめた。ウェイトトレーニングだけでなく、練習にストレッチも取り入れ、体の柔らかさを取り戻すトレーニングも熱心に行ったのだ。
その結果は2000年に49本、そして01年のマグワイアの記録を塗り替える73本のホームランというメジャー新記録というものにつながっていく。これにより自分のトレーニング法が間違っていなかったことも証明された。
彼はその後も02年には46本、03年には45本の本塁打を打ち、完全な長距離砲に変身した。


そんなボンズは今年7月で40歳になる。
通算本塁打数歴代1位のハンク・アーロンの記録まではあと95本、2位のベーブ・ルースの記録まではあと54本である。
最低でも年間40本前後のホームランは期待できるボンズが、ルースの記録をぬくのは決して無理ではない。順調にいけば来年には並ぶはずだ。
だが1位のアーロンに追いつくには、今のペースでいけばあと3年はかかる。そのときボンズは42歳。
後ろから迫り来る老いに、果たしてボンズは背中をつかまれるのか。それとも逃げ切れるのか。
完成されたバッティングを持つ彼の能力を考慮したら、心配なのはただその1点だけといってよい。
彼の選手生命が切れるのが先か。それとも96本のホームランを打つのが先か。
これからのボンズの敵は、自身の老い以外にない。