野茂の恋

野茂がメジャーリーグに移籍してから初めの数年間は、バッターに打たれたあとにはよくそのバッターを手放しで褒めるコメントが聞けた。
いわく「(打たれた僕が)見とれてしまったスイングだった」
いわく「(取材しにきた記者に向かって)あのバッティングを見ましたか?僕は(打たれたのに)鳥肌がたちました」
特にアストロズの主砲で、異常に低く腰を落としたスタンスから長打を連発するバグウェルというバッターに野茂はよく打たれた印象があるが、そのたびに野茂は試合後「あんなかっこいいバッターはそうはいない」とまるで彼のファンのように絶賛していた。
僕はそういった野茂のコメントを聞くたびに、ああ野茂は本当にメジャーリーグでの野球を楽しんでいるなと感じて、嬉しかった。でも正直言って、どうしてそこまで相手の打者を絶賛するのか、その理由まではわからなかった。一体、野茂のその興奮はどこからきているのだろう。
その疑問はずっと僕の中に残っていた。
それが先日、本気で甲子園を目指していたある元高校球児に会う機会があったのだが、そのときやっとその疑問の一端がとけたような気がした。
その元高校球児はもう四十半ばの男性で、無名の県立高校のエースとして、その高校を夏の県大会決勝まで連れていった選手だった。
その男性がこんなことを言っていた。
「今のマスコミはなぜかあまり報道しないけど、実は打たれる快感というものが投手にはあるんだ。磐石の自信を持って投げ込んだボールを、バッターに簡単に打ち返される。そのとき全身に感じるのは、打たれた悔しさだけじゃなくて、打たれた快感なんだ。そのボールを打つのか!という快感。そして、俺は君のような選手を待っていたんだという興奮が全身を襲う。君のようなバッターに会うために、僕は野球をやっていたんだ、と。そのとき僕は本気でそのバッターにラブレターを書きたくなったよ」
僕はこれを聞いたとき、なるほどと思った。そうか、そうだったのか。
野茂はあのとき、相手のバッターにラブレターを贈っていたのだ。
日本から米国に渡るとき、ほとんどのマスコミは否定的な意見をのべていたけども、反対を押し切って渡ったその地で野茂は本当の恋を見つけたのだ。
今度こそはまぎれもない本当の恋を、野球の中に見れたのだ。


だから彼の後を追う者が出た、とまでは言わないが、それでも野茂の姿は、日本にいた他の選手にはずい分うらやましく映ったのではないだろうか。
同じ野球をやるならば、誰だって野球に恋をしたい。
できる場所に行きたい。
メジャーリーグは投手にとってタフな環境なのは間違いなのだけど、その分魅力的なバッターが多くいて、恋人を見つけるには最適な環境だ。実はそれが、ある程度自分に自信がある投手にとっては、メジャーリーグにおける最大の魅力かもしれない。