この選手に注目!4人目 「カート・シリング」

アリゾナ・ダイアモンドバックス 投手 38歳
コントロールと155キロのスピードが調和した速球が最大の武器だが、彼の投手としての本当の魅力は、“ハート”で投げられることだ。


何を今さらと言われるかもしれない。でも今さら、カート・シリングなのだ。それは今年移籍したレッドソックスに、彼がいることに意味がある。


シリングのこれまでの経歴をざっと紹介すると、最多勝1回、最多奪三振2回、そして年間300奪三振数以上を3回記録し、97年に残した奪三振数319個はナリーグの右腕記録だ。
サイ・ヤング賞や、リーグMVPも間違いなく一度はとっていい選手なのだが、これまでその経験がないのは、彼が活躍した年には必ず彼以上の成績をあげた投手がいたからだ。そういう若干の不運のせいもある。
だが大きなタイトルを獲得したことがないとはいえ、その実力が大したことがないというわけでは決してない。
チームとしては93年のフィラデルフィア・フィリーズ時代にワールドシリーズを経験。そして01年にはアリゾナ・ダイアモンドバックスで、念願のワールドチャンピオンを経験した。
シリングは、今年38歳になるメジャー17年目の大ベテランなのだが、実はまだ通算では163勝(昨年度終了時点)しかあげていない。年平均すれば10勝していないということだ。
その理由は怪我もあったが、もっと大きいのは彼がとても遅咲きの投手だったからという理由による。もともとその才能には高い評価がついてたが、練習嫌いというスポーツ選手としては致命的な欠陥があった。それではいくら才能があっても、当然のようにメジャーのバッターを抑えることはできなかった。
そのため25歳までは、マイナーとメジャーを行ったり来たりしていた選手に過ぎなかった。だがその頃、4歳上のスーパースター、クレメンスから投手としてのアドバイスを受けたことが転機となり、彼の投手としての人生は変わった。
クレメンスの練習に対する熱意を証明する一つのエピソードがある。クレメンスがまだヤンキースに在籍していた2001年の時の話だ。その年の夏、ヤンキースの遠征先で当時38歳だったクレメンスは同じメニューを、25歳の二人の投手と一緒にこなした。
その結果、若い二人の一人は意識を失いそうになり、一人は嘔吐した。それほど激しい練習も先発日の間に行っている普段の練習にすぎないという強靭性、それがあるからこそクレメンスは42歳になった今シーズンも150キロの速球が健在なのだ。
シリングはそんなクレメンスの練習に対する情熱に打たれ、これまでとはうって代わって、激しいトレーニングを始める。打者に対しても、データを活用する非常に研究熱心な選手になっていった。
96年にはフォークボールを覚え、これを完全に自分のものにした97年には、奪三振数で前述の新記録を樹立。新しく覚えたフォークに、これまでの武器だった155キロ前後の速球とスライダーのコンビネーションは強力だった。
だが最大の武器であり、彼にとっての投球の基本線は、外角のストライクゾーンいっぱいに完璧にコントロールされる速球。そこへどんな状況でも投げ込める精神的なタフさが、シリングを大投手にした。
38歳になる今季いまだにその球威や球速が衰えないのも、彼がクレメンスと同様にオフにも激しいトレーニングをしているせいだ。
また練習の情熱は投手としてのフィーイルディングの方にも向けられ、守備でも達人の域に達している。



そのシリングがもっとも輝いたのは、01年のヤンキースとのワールドシリーズだった。この年ヤンキースはベテラン選手の衰えが目立ち、老朽化は確実に進んでいたが、まだ王者であることに変わりはなかった。
一方のダイアモンドバックスは他チームから数多くの看板選手を引き抜いていたが、まだ彼らは何ものでもなかった。それは引きぬいてきた主力にした選手たちのほとんどに、優勝経験というものがなかったからだ。
個での栄誉しか受けたことのないものは、全体として勝ちにいく場合、どこが肝心の要なのかわからない。だから単純に選手の力を足しただけでは互角かもしれないが、勝者のステータスがある分、今年もヤンキースが優位なのは変わらないと思われた。
だがそのヤンキースの前に立ちふさがったのは、同じく優勝経験の一度もないランディ・ジョンソンカート・シリングという2人の投手だった。彼らだけは恐れを見せず、最後までいつもの自分でいられたことが、ダイアモンドバックスを救った。いや、いつも以上の集中力を見せ、いつも以上のボールを投げたからこそ、第7戦までもつれこめたとも言える。そこまで戦え最大の理由は、先発したら試合のほとんどを大過なく投げきってくれる彼ら2人がいたからだった。
終戦の先発は、シリング、そして相手ヤンキースの先発はクレメンスという絶好のカードとなる。シリングはこれでこのシリーズ3度目の先発だが、これまでの先発と同様にシリングの顔は悪寒を感じているかのように青白かった。
シリーズ始めのころは、それが極度の緊張のせいだろうかと思っていたが、試合を見ているうちにそれは緊張や恐怖のせいではないというこがわかった。病人のように青白い顔は、彼の非常な集中力のせいなのだ。
もしそれが緊張ならば、初回でも、試合の終盤でも同じ投球はできない。解けない緊張などないからだ。しかしその表情をうみだしているのが集中力ならば、試合中ずっと一定しているシリングの投球にも一応納得がいく。何よりシリングからは、精神のネガティブなものが態度にでるという光景を一度も目にできなかった。
淡々としていた。だが彼の能力は、ほとんど全部発揮されている。そんな状態でも顔が青白いのは、緊張とは別物の、精神が高度な集中状態に入っているという以外に考えられないのだ。
シリングは結局この日、勝ち星も負けもつかなかったが、シリーズでの3度の登板の中でも最もマウンドの姿は美しかった。
彼は淡々と投げていた。だがまぎれもなく、彼はベストボールを投げ込んでいる。たったそれほどのことをなぜ、僕は美しいと思うのだろう。
それは彼が、そうするべき理由、それが勝利をもっとも手元に引き寄せる方法だと知っているからだった。どうあがこうと自分以上の誰かにはなれないし、結局自分のできることとは、自分のできることだけしかこの世にはないのだ。
そのことを投手として以上に、人間として実感できたなら、ベストを尽くすには、ただ自分のできることだけに目を向け、力を注げばいいということに気づくはずだ。それは一人の世界に閉じこもればいいということではない。そうではなく現実をありのまま受け入れて、それでも自分のできることから目を背けないでいられているだろうか、ということなのだ。
シリングは目を背けていなかった。ただ自分の投球と、バッターだけを見つめていた。自身まだ一度もチャンピオンになっていないワールドシリーズという大舞台や、ランナーに関係なく、である。
その姿が何より美しかった。
試合は1−1で向かえた8回表に、この年ヤンキースにレギュラーになったソリアーノにフォークをスタンドに運ばれる。これでリードしたヤンキースはクローザー・リベラを投入し、試合は決まったと思われたが、9回裏にリベラがバント処理を誤り、最後は主砲ルイス・ゴンザレスが打ったポテンヒットで幕を閉じた。
シリングは、試合が終わって、選手たちが互いに喜ぶ中、ランディ・ジョンソンと抱きあったとき、やっと笑った。男として、これは、自分の全てをやり尽くした最高の笑顔だった。



レッドソックスは《眠れる森の美女》ではないか、と思うときがある。その美貌(選手力)は色褪せないものの、いまだに誰かを待ち続け、自ら目覚めることはない。だが物語のお姫様と違う点は、実はもういつでも自力で起きられる力はもっていることにレッドソックスが気づいていない点だ。
眠れる美女が自分を起こしてくれる誰かを待つように、レッドソックスも何かを待っているとしか思えないところがある。勝つ力はある。そして勝つチャンスもあった。なのに、なぜか自分から勝てるとなると身を引いてしまう。
一体ボストンは何を待っているのだろうか。時間?選手?それともオーナー?
こうなったら自分から目覚めに向かう選手を、入れるしかもはや方法はないのでは、と見ていて思ってしまう。
眠ることになった歴史(呪い)なんて関係ないと言い切れるのは、他のものに惑わされず、自分を持っている人間だけだ。今年それにはおあつらえ向きの選手が、レッドソックスに入ってきた。
断言してもいい。
もし今年レッドソックスプレーオフに進出したら、そのとき一番頼りになる投手は、リーグ最高右腕ペドロ・マルティネスでも、メジャー最高のシンカーを持つデレク・ロウでもなく、カート・シリングだ。
それは他人が恐れる場面でも現実に飲み込まれず、その瞬間のベストの方法を見つけられる選手だけが、プレーオフで活躍できるのだから。
そして長い間、そういう選手だけはレッドソックスに不足していた。
シリングが、レッドソックスベーブ・ルースの呪いからとく“約束の口付け”になれるかどうか。それは10月の声を聞くまで誰にもわからない。