その瞬間、球場を漂ったもの 〈’03 アリーグ優勝決定戦 回想〉

どうしてなんだ、と思った。その瞬間、レッドソックスの選手たちが緊張を解くのがわかった。どうして戦いの最中なのに、兜を脱ぎ捨てなければならないのだろう。僕にはそれがわからなかった。


昨年のアメリカンリーグ優勝決定戦は、大方の予想どおりにプレーオフを勝ち上がってきたニューヨーク・ヤンキースボストン・レッドソックスとの間で争われた。このリーグチャンピオンシップを制したほうが、ワールドシリーズへと進出する。
去年のヤンキースには、たった一つだけだが致命的な弱点があった。それは試合を始める先発と、試合を終わらせるクローザーには信頼できる投手を配置できていたのだが、彼らをつなぐ連結部分の人材が不足していたことだった。メジャーリーグではセットアッパーとロングリリーフと呼ばれるそのポジションに、ヤンキースが充てた投手は、潜在能力はとても高いがまだ自分をコントロールするすべを知らないルーキーと、もう盛りを過ぎたベテランだった。
かつては全てのポジションにまんべんなく、一流投手を配置していたヤンキースだが、このポジションだけは人材を見つけられていなかった。
そのことがこのリーグチャンピオンシップを、最終第7戦までもつれこますことになる。第6戦では序盤レッドソックスに4点をとられながらも、ヤンキースは6点を奪って逆転に成功する。あとは6回途中にマウンドを降りた先発のあとを受け継いで、ブルペンのピッチャーがその点差を守ってくれればいい。
つい2年前までは2点差というのは、ヤンキースにとってはセーフティ・リードだったが、昨年のヤンキースにはそうではなくなっていた。
最初にリリーフとしてマウンドにあげたルーキー・コントレーラスは、プレシャーから自滅し、3点を与えてしまう。コントレーラスは最高101マイル(163キロ)の速球を持ち、140キロ台の揺れながら落ちるフォークを持っているが、まだ精神的には大人になりきれていない選手だ。そういう選手をリードした場面でマウンドにあげざるをえないことが、ヤンキースブルペンの凋落を表していた。もうヤンキースは絶対的なチームじゃない。そして逆転されたヤンキースが、この試合に再び逆転することはなかった。


第7戦、ヤンキースの先発はクレメンスだったが、レッドソックス打線は序盤から彼を攻める。41歳になっていたクレメンスは、今でも球速だけを見ていると全く衰えを感じないないが、ピンチでの耐久力は全盛期の頃に比べると落ちている。そのため連打を打たれ、1イニングでの球数が増えれば増えるほど、コントロールが乱れてしまう。加えて情熱家の彼には、勝てばワールドシリーズへとチームは進出するというこの最終戦の意味を知るだけに、気負いがあった。そのことがいつもより球を上ずらせており、それヤンキースにとっては危険な兆候だった。
レッドソックスはそのクレメンスから、まず2回に3点を奪い、3回には先頭打者のケビン・ミラーがホームランで1点を加え、4−0とする。さらに後続のニクソンは四球を選び、首位打者ビル・ミラーはセンター前ヒット。これでノーアウト一、三塁になったところでクレメンスは降板した。
これならいける、このチームならワールドシリーズに進出するだけでなく、先にもうシリーズ進出を決めていたナリーグ・チャンピオンのフロリダ・マーリンズを破り、67年ぶりの王座に戻ることも可能ではないか、と僕は思い始めていた。
だが次の瞬間、信じられないことが球場に起きた。クレメンスに変わったムシーナがマウンドで投球練習を始めると、球場全体をなんとも気の抜けた雰囲気が広まっていったのだ。球場全体からは少しずつ戦闘の緊迫した雰囲気が消え、変わって徐々に緩やかな空気が満ちはじめていった。
そしてそれは塁上にいるレッドソックスのランナー、そしてレッドソックスのベンチから発せられていた。


僕は愕然とした。ばかな。それはレッドソックスの選手たちが、ほぼ勝利を手におさめようとしながら、まだ戦いが終わりもしていないのに、身にまとった鎧を脱ぎ捨てようとしているサインだったのだ。
そんなばかな。まだ試合は終わっていないのである。それなのに、自ら集中力を切るのか。考えられないことだった。
くそ、と僕は思った。これでは勝てる試合も勝てない。彼らは試合で、一度集中力を切らすということがどういうことかわかっているのだろうか。集中力というのは、別れた男女関係と同じで、一度切ってしまったら、もう一度同じ状態に戻すのは、ほとんど不可能なことなのだ。
これでは何点リードしていてもだめだった。一度集中力を失い、自分たちが出来ることを放棄するクセがついたら、同じ試合の中では何度でもそのクセを繰り返してしまう。これでは勝利するはずがなかった。
案の上、このあとバリテックは三球三振で、次のデーモンはショートゴロのダプル・プレーであっというまにチャンスは消えた。犠牲フライすら打てなかった。
もう勝ち目はない、と僕は思ったが、レッドソックスにまだ運が残されているとしたら、ヤンキースがその攻撃を3点以内に抑えてくれてくれるかもしれない、ということだった。
だがその甘い希望的観測も所詮希望にしか過ぎず、ヤンキースは9回を終えたとききっちり4点を奪い、同点にしていてくれた。あのとき犠牲フライを一本でも打ち1点でも追加していたら、レッドソックスは5−4で逃げ切っていたなと思ったが、それももはや戻れぬ道だった。
試合は延長10回裏、アーロン・ブーンのサヨナラ・ホームランで幕を閉じた。


次の日、多くの新聞では予想通り、「劇的」や「再びバンビーノ(ベーブ・ルース)の呪いか」といった見出しがつけられた。でもそんなのじゃない。
レッドソックスの先発ペドロ・マルティネスは、試合後にこんなコメントを残した。
「点を取られたのはオレ。呪いをかけたければ、オレにかければいい。投球と決断の責任はオレにある」
だがこれも違う。敗因はもちろん呪いでも、ペドロの投球だけでもない。敗因はただレッドソックスの選手たちが、自分たちが漂わせていた匂いに気づかなかったことなのだ。
勝てる力はもうレッドソックスにはある。だがそのことに気づいてないのは、レッドッソクスの選手たちだけなのだ。
呪いなんかない。あるのは、力はあるのにいつまでも自分のことを信じきれない、強者の姿だった。

そのことが何より僕には、悲しかった。 
《こんなチームをワールドシリーズに行かせては、だめだ》。
その感情は、その前々日にカブスに感じたものと全く同じだった。