悲しきレッズ

シンシナティ・レッズが4月21日時点で8勝6敗という、勝率5割以上の成績を残し、シーズン前の大方の予想をくつがえして、健闘を見せている。
しかし、と僕は思ってしまう。
レッズは昨年のシーズン途中で、長年チームでセットアッッパーをつとめてきたスコット・サリバンや、クローザーのスコット・ウィリアムソン、そしてワンポイントリリーフでキラリと光る投球を見せ、試合の終盤を安定させてくれたホワイト、ヘレイディアの両左腕をシーズン途中で放出した。
さらにはチーム生え抜きのアーロン・ブーン三塁手まで、トレードで手放した。
この大量の選手放出劇は、チームにとって年俸削減という以外に何のメリットもないように見え、今オフにもレッズには目立つ補強はしていない。
確かに打撃陣にはケン・グリフィーJrに加え、カーンズ、アダム・ダンの若手大砲コンビ、成長著しいトップバッターの2塁手ヒメメスなどがいる。
ダンは今季14試合ですでに7本のホームランをかっとばし、打率では.366という高い数字を記録している。
だが去年あれほど気前よく他チームに放出してしまった、リリーフ投手たちの穴はどうするのだろう。投手陣の整備なくしては、瞬間的に勝っても、持続して勝ち続けることは絶対にできない。
それに対する答を、いまだレッズのフロントは示していない。


「ウェイト・ティル・ネクストイヤー」という言葉がある。
これは1940年台後半から1950年にかけて、ブルックリン・ドジャースのファンたちの間で言われ始めた言葉だ。ドジャースは47年から54年までの7年間で4度ナショナルリーグのチャンピオンとなり、ワールドシリーズに進出したが、いずれもその全てアリーグの覇者ヤンキースの前に屈した。
そのたびにブルックリンのファンは、お互いに向かって言ったものだ。
「Wait Till Next Year(来年があるじゃないか)」、と。
そして1955年、ジャッキー・ロビンソンが現役最後の年に、ドジャースは通算6度目のワールドシリーズに進出し、そしてそこで6度目の対決となったヤンキースとの戦いを制し、とうとう初めてワールドチャンピオンの座につく。それまでの時間、そしてこの勝利があったからこそ、今でもブルックリンにはドジャースを愛してやまない人が存在する。
ウェイト・ティル・ネクストイヤー。その言葉通り、おれたちのチームはあのヤンキースを倒して、チャピオンになったじゃないか。だから今でもあのチームを信じられるのさ、と。


ファンとしてみたら、チームに予算がないせいで、負けるのはいい。自分たちはベストパフォーマンスをしたのだけど、相手の力の方が勝っていた理由で負けるのだって許せる。
だけど球団が持てる力や、やれることを残しながら、負けるのだけは絶対に許す気になれない。
ドジャースファンが「ウェイト・ティル・ネクストイヤー」とシーズンが終わるたびに言い合えたのも、「来年こそは、来年こそは…」と、戦い続けるチームに信じられる未来を感じられたからなのだ。
くつがえって今のレッズはどうだろう。確かに表面的には勝っている。だがこのチームの未来を信じられるだろうか。これからも勝っていくことを信じられるだろうか。
残念ながら答えはノー。それは昨年のトレードを見ても、今年のチーム編成を見ても、チームのフロントからは、本当に勝利を求めている匂いがしないからだ。
そのため今は健闘しているが、ただ偶然勝っている気がしてならない。
僕としては予算がどれだけなくても、どれだけ強豪チームに囲まれて優勝の可能性がない地区にいても、チームが人材・資金力・選手のバックアップなど持てる力を全て使い切ったなら、何位でも本当は適わないと思っている。それは僕が見たいのは、ただ持てる力を全て出し尽くした男たちの姿だからかもしれない。そしてそれこそ、「本当に戦う」ということなのではないだろうか。


オジー・スミスの後継者、「ミスター・レッズ」のバリー・ラーキンももう40歳になる。だが彼がレッズの一員としてワールドチャンピオンになったのは、ルーキーイヤーだった90年の一度きりしかない。このまま彼はワールドシリーズの記憶が、たった一度だけのまま引退してしまうのだろうか。
それはあまりに惜しい、と僕は思う。
なぜなら彼こそ僕を初めて、素晴らしきメジャーリーグの世界に連れて行ってくれた、僕にとって特別な選手なのだから。
もう一度、彼を本当のチームで戦わせてあげたい。
僕がレッズに望むのは、ただそのことだけだ。