21世紀期待の投手が、帰ってくる。(下)

プライアーが最後に登板したのは、フロリダ・マーリンズと戦った昨年のナショナルリーグ優勝決定戦の第6戦だった。先に4勝したチームがワールドシリーズへ進むことができるのだが、カブスはその試合までにすでに3勝を上げていた。
第6戦もプライアーの好投で、8回ワンナウトまでマーリンズ打線は3安打に抑えられ、試合のスコアは3−0でカブスが3点リード。あとアウト4つでカブスは、1945年以来となるワールドシリーズが現実になるところだった。
だがしかし、という形で試合は展開していく。
そのときの状況を簡単に再現してみると以下のようになる。


逆転は8回表、マーリンズの攻撃でワンナウト2塁から始まった。バッターは2番のカステイーヨだったが、彼には粘られ、3本続けてファールを飛ばされる。その3本目のファールが例の、左翼手アルーがファールゾーンでとれたはずのフライだったのに、カブスファンがボールを求めて、手を伸ばし捕球の邪魔をしてしまったために、落球したファールだった。
プライアーはその後、カスティーヨに四球を与え、次のイバン・ロドリゲス
3球目の甘いコースに来たスライダーを打たれ、1点を失う。だが次の4番カブレラには再び素晴らしいコースに、スライダーを投げ込みショートゴロに打ち取った。
これがダプルプレーには最適なゴロで、これでこの回はあっさり終わるはずだったが、ショートのアレックス・ゴンザレスがこのなんでもない打球を落球し、ランナーはオールセーフとなる。
これで一死満塁のピンチとなったプライアーは、次のリー(元オリックス監督レオン・リーの長男)の初球に、ど真ん中の速球を投げてしまう。リーがバットを振るとボールはレフト線を破っていき、これで同点となった。
プライアーはここで降板となったが、カブスはこのあとにリリーフに出した投手も打たれてさらに5点を失い、これで試合の行方は決まった。


8回表にマーリンズが逆転に成功したポイントは3つあったのではないか、というのがこの試合を見た僕の感想だった。
まずカブスファンが、ファールボールの捕球を邪魔してしまったこと。
ダブルプレー目前だったゴロを、ショートのゴンザレスがエラーしたこと。
そして、同点打になる絶好球のボールをリーにプライアーに投げてしまったこと。
このうち前の2つは、プライアーの責任に直接結びつくものではない。
アメリカの観客はホームランボールだろうが、ファールボールだろうが、スタンドに飛んできたボールは進んで取りに行くのが、球場で野球を「enjoy」するための一つの方法だと考えている傾向がある。(そのためにグラブをはめて観戦しているのだ。)
だから自分の近くにボールが飛んできたしまったら、応援するチームに不利になることを一瞬忘れ、手を出してしまうことだって何ら不思議ではないな、といのがそのプレーを見た時のあとまず思った。キャッチできなかった左翼手のアルーは怒りで叫んでいたが、それがアメリカのスタイルならばしょうがない。
2つ目のゴンザレスのエラーについては、額面通りのプレーではないだろうか。つまりまだ彼は全てのプレッシャーを打ち払うことができる選手ではなかった、ということだ。
当然捕球されるべきだったファールフライの落球。そしてダプルプレーには最適だったイージーなゴロがエラー。
プライアーの投球数はこの時点で、118球に達しており、疲れも見え始めていた。例えばここまで簡単に抑えていたカスティーヨに粘られ、あのファールを打たれたのも、疲れからコントロールに乱れが生じ始めていたからだ。通常メジャーリーグでは100〜110球が先発投手の交代のリミットとされていることを考えても、十分に交代の時期は過ぎていた。並の投手なら監督も、リーの打席の前に交代させていただろう。
だが、させなかった。それはなぜか。それはプライアーが超一流投手であり、監督はその格を尊重したからだ。そしてそう信じさせるものもプライアーにはあった。プライアーの最大の武器は、ランナーが塁上に出てピンチが訪れてもピッチングに変化は現れないという、精神的な強さにあったからだ。


これはベースボールプレイヤーに限ったことではないが、人間にはどうして成長を続けていくものと、ある場所で成長を止めてしまうものの2種類がいるのだろうと思うことがある。
その理由には各人それぞれ違うものがあると思われるが、成長を止める方法というのはいたって簡単だ。それは「考える」ことをやめてしまい、失敗しようが成功しようが同じことを毎日繰り返しさえすればいい。
逆に言えばいつまでも成長を止めないものというのは、考えることをやめていないものであるということだ。
何カ月か前に紹介した若きマーリンズのエース、ジュシュ・ベケットがデビュー当時すでにアメリカでは殿堂入りが確実だという報道された意見に、僕も同感だと思うのは、彼にはまさにその「思考力」があるからなのだ。
思考力があれば、失敗から学ぶことができる。事実彼は、プレーオフ最初の2試合での敗戦したからこそ、プレッシャーを抑える方法を見つけ、ワールドシリーズのMVPになれた。と僕は信じているし、マーリンズの老将マキーオン監督もそれに近い意味のコメントを残している。
成長なき者はどんなに素晴らしい球を持っていても、常に相手の優位に立つことはできない。なぜなら今の自分が終着点ならば、追いつく者が出てこないこないとはなぜ言えよう。
そしてベケットと同じその資質を多くの人は、プライアーにも感じている。


リーに同点打を打たれた時、プライアーには言い訳となる条件が十分に揃っていた。
まさか自分のチームのファンが、フライの捕球を妨害(結果的に)するなんて。
まさかあんななんでもないゴロを、ショートがエラーするなんて。
そして投球数は、通常の限界を越えていた…。
だがどんな条件であろうと、自分ができうるベストのプレーというのはある条件に翻弄されることではなく、その条件を受け入れてなお、自分ができることを見失うことではなかったのか。
もしリーに投げたど真ん中の速球がベストピッチだと言うならば仕方ないことなのかもしれないが、僕にはどうしてもそうは思えないのだ…。
それはプライアーが荒れ球の速球派ではなく、コントロールと精神力を兼ね備えた速球派であるからだ。
だから僕には結局、この試合を決めたのはアンラッキーな事故やエラーではなく、プライアー自身だったのではないかと思ってしまうのだ。


そしてそれゆえに、今年のプライアーに対して大きな期待を感じている。もし彼がこの敗戦の理由をアンラッキーなものとして片付けていなければ、大きな果実を得たのではないかと思うからだ。
考える習慣を持ったものには、時として失敗は甘露の一滴となることがある。それは現実から目を背けない限り、失敗が自分に必要なものと、不必要なものをはっきりと知らせてくれる瞬間があるからだ。
こういった才能と思考力を併せ持った選手が、逆境を経験するのをみるたびに僕は戦慄を覚える。なぜなら熱い鉄が打たれるたびに、その密度を濃くし、鋼に変わっていくように、彼らも次に現れるまでには確実に姿を変えているからだ。
僕はプライアーの中の何かが変わったのを、信じている。



(追記)
6月4日のピッツバーグ・パイレーツ戦で、プライアーは今季初めてマウンドにあがり、先発投手をつとめた。結果は6回を2安打、8奪三振の無失点。現在カブスは29勝27敗で、首位とは4.5ゲーム差の中地区4位だが、プライアーの加入はカブスにとって大きな追い風となるはずだ。