「オールド・ルーキー」の後ろには…

メジャーリーグを扱った映画といえば、古くは「打撃王」からはじまり、スポーツ・イラストレイテッドのスポーツ映画ランキングで上位に選ばれた「さよならゲーム」、「フィールド・オブ・ドリームス」に「ナチュラル」という素晴らしきベースボールファンタジーの2作、故パンチョ伊東氏が大絶賛した「ラブ・オブ・ザ・ゲーム」、単純娯楽映画の「メジャーリーグ」、昨年ヒットした「オールド・ルーキー」などが有名だ。
この他にもフランク・シナトラジーン・ケリーという、ミュージカル映画のゴールデンコンビが共演した「私を野球に連れて行って」、球聖タイ・カッブの余りにも奇なる人格を描いた「カッブ」、そして伝説のシューレス・ジョーを含めた、8人のホワイトソックスの選手が球界を追放された真実を描く「エイト・メン・アウト」などがある。
その中で最近「オールドルーキー」を見たのだが、これが中々よくできていた。かってはメジャーリガーを目指すプレイヤーであった主人公は、肩の故障でその夢は断念し、今は高校教師をやっている中年の男である。だがある日、97マイル(156キロ)の速球を、自分が投げられることに気づく。物語はそこから始まるのだが、簡単には主人公は今の生活を捨て、再びメジャーリーガーを目指す人生は選ばない。それは彼が妻と2人の子供を放っておけないからであり、また怪我から回復した自分に全幅の信頼を置けないせいなのだが、その彼の背中を家族や高校の野球部の教え子たちが押し、少しづつ彼の心は野球の世界に向かっていく。そして再びメジャーリーグを目指すことを決意した彼は…というのが大まかなストーリーなのだが、これが実話とはいえ無理のないストーリーなので、特に違和感なく見れた。


そのため娯楽映画としては決して悪くないものだと思うが、それ以上の面白さがあったなと思ったのが、この映画を見るたことで、試合の見る視線が少し変わったことだ。
映画のラストで主人公は、デビルレイズに昇格し、レンジャース戦にリリーフとして、メジャーのマウンドに初めて上がることになる。正直言って今まで、僕はデビルレイズーレンジャースというカードに興味がほとんどなかった。
それは両チームとも大味で、勝利への情熱を強く持ったチームには残念ながら、思えなかったからだ。野茂が指摘する通り、メジャーリーグの試合はどんなにつまらない試合でも、これぞメジャーリーグ!というファインプレーが1試合に1個は出るものだが、それでもそんなチーム同士では試合自体には大きな期待はもつことはできなかった。
だがこのラストシーンのデビルレイズーレンジャース戦は、以前とは打って変わって、魅力的に僕の目に映った。それは映画の主人公が、画面に出ていたということも、もちろん関係しているだろう。だがそれ以上にこのカードを新鮮に感じた理由は、その瞬間の主人公の後ろに、無数の同様な人間がいるのを感じたからだ。


主人公は高校の教師をやめ、生活が苦しくなった家族のことを心配しながら、マイナリーグを過ごし、とうとう念願のメジャーリーグに昇ってきた。だがメジャーに定着し、安定した収入を得ることができるかは、これからの成績次第にかかっており、まだわからない。
このようなボーダーライン上の選手はまだ厳密にいえば、メジャーリーガーではない。だが新しいメジャーリーガーがうまれてくる場所は、常にそのボーダー上からだ。
この映画の素晴らしいところは、そのような人間がメジャーリーガーたちの後ろに無数におり、30チームだけでメジャーリーグが完結しているのではなく、30チームというのは後ろにいる彼らの上澄みに過ぎないということを、語っている点だ。デビルレイズという、メジャーでも弱小に位置されるチームに昇格することさえどれほど難しいか、そして家族を持ったマイナーリーガーたちはどんな思いでプレーしているか、それを映画では物語の後半で、主人公やその周囲のチームメイトを使って、描いている。
メジャーの下層部の深さを感じた瞬間、それがデビルレイズーレンジャース戦にも、光るものがあるのだと感じた瞬間だった。


具体的な数字で言えば、マイナーリーグが240チームに、独立リーグが46チームで、計276チーム。30チームの後ろにざっとこれだけのチーム、メジャーリーグの約9倍の人間が控えているわけだ。
それだけの競争を勝ち抜いてきた選手には、どんなチームに所属しようと、まず敬意を持ちたい。そうでなければ、メジャーリーガーにすらなれなかった選手たちは、無駄な人生を過ごしてしまったということになるのだろうか。
そうとはどうしても思えない。それは彼らがその瞬間、瞬間で、メジャーリ−ガーという夢に向かって、情熱を燃やして、生きてきたはずだと思うからだ。(給料が極端に安いマイナーリーガーより、稼げる仕事は少なくない。情熱以外の何が原動力だろう)そしてメジャーリーガーたちは、彼らの情熱を踏み台にし、彼らの未来の可能性を自分のものにすることで、メジャーにあがってきた者たちだ。
そういった他人の情熱と未来を食べて、大きくなったメジャーリーガーたちは、当然他人の存在を背負わざるを得ない。
そしてこのオールドルーキーの後ろにすら、彼にその座を譲った9人の男がいたのだ。
そのことに気づいたら、少しメジャーに対する目が、変わったように思う。